若い人も考える孤独死

先日知人に教えてもらったコミックです。インパクトのあるタイトルですが(^_^;)、この本、いま若者に評価が高いそうです。教えてもらってすぐ買いました。内容は「終活」。35歳独身働く女性が、キャリアウーマンの叔母の後年孤独死をきっかけに、さまざまなことを考えるのですが、かなりブラックユーモア盛りだくさんで(;’∀’)、申訳ないですが絵がうまいわけでなく、梅図かずおかつのだじろうを彷彿させるような(古い!)ある意味ホラーチック(;’∀’)。ところが、結構真面目に「社会福祉・社会保障」もネタになっているのです。ある意味リアルな今の実態かも。主人公の行動・考えが二昔前の自分に一部近いこともあり(笑)、笑えないけど笑える。作者の「あとがき」がまた名文で著作権がなければコピーして配りたいぐらい。RKBは、「老後・クソ・ババア」の略だそうです(笑)!

 

住宅政策の根っこ

「マイホームの彼方に」(2020)平山洋介、筑摩書房

神戸大学の平山先生が今年出された本で、非常に興味深いものでした。学術書なので一般の方にはおもしろくないと思いますが(^_^;)、「住宅政策」に的を絞り緻密な記録を辿り分析しています。大学院時代の論文で住宅史は一通り調べたつもりでしたが、知らないことも多々あり、なるほど、こうやって日本は他先進国にはない独自の(そしてまやかしの)住宅政策が繰り返されきたのだ、と。それにしてもこの画像の部分ですが、今こんなこと官僚が言うと大問題になる、ビックリでした。この前段階の話もかなり衝撃なのですが、戦後、厚労省の福祉的住宅の考えと建設省の市場(経営的)住宅の考えはある意味縄張り争い的な部分があったのですが、「建設省が考える公営住宅は最低辺の階層は相手にしない」「貧乏人は切り捨てる」「お荷物になるひとだけを優遇していたら、日本国家の再建はできない」と述べています(途中端折ってます)。この流れって結局今に至るまで変わっていない。だから「サ高住」推進なんですね。わかってはいたけど、欧州の住宅人権の考え方と日本の自己努力主義の隔たりにあらためてため息です。

Being Mortal

これは久々に響いた本でした。タイトルが直接的すぎますが(^_^;)、私なら「死に至るまで」「いかに死ぬかはいかに生きるか」みたいなタイトルにするかな。著者はアメリカの外科医、訳者は日本の精神科医。日本もやっとACP(人生会議)が語られるようになりましたが、必ず迎える死に対して、人はどのように最終地点を決めるか。本の前半は高齢者の避けられない「老化」による死に至る過程、後半は「がん」による死に至る過程。外科医として、多くの患者やケアワーカー、ホスピススタッフと関わるうちに、医療による延命と本人の「何が一番大切か」のバランスに悩み、気付きを得ていく過程もあり、自身の親のがん発覚から死までの実例もあり、たくさんの「死に向かう人々」の様子を描いています。前半の「老化」は、住まいのあり方、アメリカの施設の考え方などもあり、重要な示唆があります。訳者があとがきで「自分で訳して書いた本を校正で読み返し泣いてしまった。それほど響く内容」と書かれています。偶然にも先日書いた「恍惚の人」の話題もちらっと出て、タイミングを感じます。

恍惚の人

実家の書棚で茶色くなった(;’∀’)「恍惚の人」を見つけ、一気に読み直してみました。確か最初に読んだのは20代半ば。1973年初版時この内容を書けた有吉佐和子氏やはりスゴイ!と思うと同時に、昭和当時の社会背景や考え方に50年の変化をつくづく感じます。「年寄り用おむつ」を買い求めると赤ちゃんコーナーに誘導されたり、自身の親なのにまったく協力しない夫、「認知症は精神病」という認識で特養に入れず精神病院に行くしかない状況、役所の福祉主事は特養ホームを「ネタキリ老人と人格欠損の人を収容する施設」と説明する、など。文中では当然「認知症」という言葉はありませんし、痴呆は少し出るもののほとんどが「老耄」と記されています。そして巻末の「解説」にあった次の文章。『今、我が国では日本型福祉の再発見とか、日本型含み資産の中での自立自助とか言われて、家族扶養・親族扶養の強化が主張されている。そして学・識者たちがその世論形成の先頭に立っている』。書かれた昭和57年のこの文章、まったく今と同じではありませんか。これはぜひ一度は読んでみるといいと思います。この本は確か国会でも取り上げられ、その後の高齢者福祉の流れに大きく影響したと言われています。

土地の歴史

直接高齢者の住まいに関係はないのですが、とてもおもしろい本でした。目からウロコが盛りだくさん(*_*)!地震、水害、台風、etc.と災害大国日本に住んでいると、「安全な地」はほぼ皆無といっていいかも。盲点なのは、東京23区など密集地のあちこちに危険な土地がとても多いこと。報道では大きな災害は報道されますが、実は各所でがけ崩れや液状化などが起こっているのですね。思えば、徳川家康が江戸を切り開いた時「こんなところに?!」と訝る人が多かったと昔本で読みました。地名を見ると、ある程度昔の土地がどういう状態だったかわかるそうです。なるほどー。私たちが今住んでいる土地、特に都市部は確実に昔は違う家や施設があったり、違う形状のものがあったりだったはず。土地の歴史は上乗せですから、その下に何があるか。長年住んでいる京都は、掘り返すたびにいろいろ出ます(;’∀’)。先日大阪でも膨大な人骨が出たとニュースになりました。普段何気なく「今」の街(土地)を踏みしめていますが、普通の日常に潜むリスクや下に埋もれた歴史、あるのですね。

 

世界は広い

本の話が続いてしまいますが、週末読み終えたのはこれです。ほとんど仕事や勉強に関係のある読書ばかりしているので、ちょっと息抜き。のつもりが!この本は厚さ約4㎝、700頁の大書。なんといっても重い(;’∀’)。池澤さんの本は、20代の頃読んだ「マシアス・ギリの失脚」が非常に印象に残っているのですが、昨今では文学集を編纂したり、新刊本の評論が多いようで、この本も長年某週刊誌に寄稿した評論をまとめたもの。問題は、全ての本が面白すぎて、読みたくなる(;’∀’)。幅広いジャンルでいかに自分がモノ知らずか認識させられるのです。とはいえ。自分の研究対象の本を中心にせざるを得ず、合間に読もうと抜粋して「息抜きで読む本リスト」にいくつか加えました。それにしても、この本のタイトル、こういうセンスが大好きです。

老後格差は機会格差による結果格差

タイトルに目を引かれて図書館で借りました。大学の先生が書かれた本にしては、研究書というより一般読者向けの読みやすい内容です。「格差」とは何か。大別して「結果の格差」と「機会の格差」がある。前者はわかりやすく言うと貧富格差、後者は教育や就職に平等な機会があるかということ。機会は結果の前提となるものなので、高齢期の格差はそれまでの人生における格差の結果ともなるわけなのですね。経済学者なのでさまざまな視点から分析されているのですが、健康格差=所得格差の例もあり、アメリカで55歳の人の平均余命と所得階級をデータ化すると、所得上位10%の人の平均余命は男性34.9年、女性35.3年、最下位10%は男性24.2年、女性25.8年と、なんと10年以上の差があります。なぜ経済大国アメリカの平均寿命が低いのかは、貧富格差(医療保険の未加入が多い)が最大の原因のようで、結果的に低寿命の多さが平均を低くしてしまうようです。なるほど。ただ、後半では「単身高齢者は不幸」論調気味なのでちょっと個人的には違うのでは~(^_^;)でした。

「毒親」の介護問題

昨日の8050はどちらかというと親が「自分がいなくなった後、引きこもりの子がどうなるか」という親の心配ですが、これはその逆といえるかも。「毒親」という言葉もここ最近で知られるようになりました。元は1989年に英国の医療コンサルタントであるスーザン・フォワード氏による造語ですが、幼少時から親による言葉や態度の暴力(体罰だけでなくメンタル面でも)を受けた子世代が、親の介護にあたり「どう対処するのか」がテーマとなっています。これも個々でケースが異なるので何ともですが、どんなに親に虐げられてきても、憎しみがあっても、どこかに愛情は残っている。この葛藤は当人にしてみると非常にストレスでつらいと感じます。公的介護サービスの利用は理想ですが、現実的にどんどん難しくなる。国は家族介護に舵を切ったなかで、親子関係の非常に悪い場合もあるのです。当然虐待につながる(幼少時とは逆)こともあるし、子の人生を最期まで潰してしまうことにも。8050と違って、制度としての支援がない。総合的な生活相談窓口は重要です。

待ったなしの8050

8050問題は報道により多くの人が知るようになりました。これは複数の事例のドキュメンタリーですが、事情は個別性が高く「なぜそうなったのか」は一概に語れない。不可抗力な理由もあるし、親に理由があることもある。でも『何か』がある。国も事の重要性を理解し、政策として調査や対策を進めていますが、まだまだ「縦割り行政」の壁も大きく立ちはだかると感じます。8050の当事者は、どこにも相談しない(できない)ケースが多く、親が介護状態になり、ヘルパーやケアマネが発見することも少なくないようです。厚労省は自治体の「生活困窮支援窓口」を相談窓口とするようですが、個人的にはちょっとズレてる感も。地域包括ケアの推進で、まるごと見て行こうということですが、専門職の不在や多忙を極める現場を鑑みると、非常に難しい問題です。80-50はいずれ90-60、100-70にもなる。左はなくなり右だけ残ることも。公的な支援(専門職)の存在は重要です。

介護保険は全ての人を救えない

内容的には少し古いのですが、介護保険が開始され5年後の最初の改正の時点ですでにかなりの問題(制度自体が持続できないのでは)が出されていたことが、今さらながら再確認。よくボロボロになりながら(笑)、続いている。著者は「介護の市場化」の問題を中心に労働面からも切り込んでいるのですが、個人的にも(私の周辺も実際介護に直面すると)この「市場化」は悪化の一途をたどっていると感じます。本のサブタイトルに「人は生きてきたようにしか死ねないのか」とりあますが、これが身につまされる。公的介護保険は、介護問題をオープンにした点はよかったと思うものの、確実に高齢期の生活の格差を広げていると思います。介護保険の仕組みを市井の人が理解できているか?煙に巻く方法で国と経済界がコントロールしだした。文中に、情報の非対称化(行政や事業をする側と一般消費者の情報量は大きく違う)が措置時代と比べ物にならないほど大きくなったとあります。以前某議員が「この程度の国民に対して、この程度の国会議員」と自嘲的に語ったという例を出し、介護でも同じことがおきていると。日本は民主主義なんだろうか。コロナ禍もあり多くのことを考えさせられた内容でした。