死に場所は老人ホームが増加

令和3年度介護報酬改定に向けて(厚労省社保審:2020.6.1)

昨日に続き同じ資料から気になったデータ。「どこで死ぬか」。病院から自宅へシフトが叫ばれ時がたち、確かに病院は減っている。でも自宅が増えているか?というと、増えているのは老人ホームなんですね。老人ホームを「自宅」と考えるかどうかは、さまざまな論点があるので一概に言えません。有料老人ホームなどの営業担当は「ご自宅ですよ」とよく言われます。自立型の場合はそうともとれますが、介護型はとても「自宅」とは思えません。以前、某大学の先生がサ高住をさして「住宅とはいえない、ただの部屋ではないか」と言われてましたが、介護型サ高住については私もそう思います。話を戻し、「どこで最期を迎えるか」は、今後本当に考えねばなりません。病院の数は高齢者人口が増えているのに、減らされます。自宅で「看取ってくれる人」がいない高齢者が激増します。そもそも火葬場不足まで言われているおり、おちおち死ぬことすら不自由になってきた社会。介護をどうするかの先に、死に場所まで考えねばならないとは、困った世の中になりました。お墓付有料老人ホームが増えてきていますが、そのち火葬場付き有料老人ホームもできるでしょうか…。

介護は高齢期にお金がかかって当たり前

令和3年度介護報酬改定に向けて(厚労省社保審:2020.6.1)

1ヶ月ほど前の資料のデータから拾ってみました。医療費ではよくこの年代別グラフを持ち出して、「高齢者は医療費がかかる!」が演出されるのですが(まあその通りとしても)、介護も同じようなデータが出てきました。こんなの当然ですよね(;’∀’)。そのための「保険」ではないのか。だいぶ以前にも記したと思うのですが、人間1人が赤ちゃんから老人になって世を去るまでの間にかかる社会保障費を分析すると、最初と最後はコストがかかるのです。これを補うのが、自分が働ける間。昨今「高齢者の負担を増やして、現役世代の負担を減らせ」論調が多いですが、これは結局将来の自分の負担を増やすことになり、同じ穴の狢なんですよね。もちろん、以前のように今後経済や社会環境が右肩上がりであれば、いいのですが、もしそうなるとしても社会保障費用を賄うには相当な年数が必要になってくる。経済と一緒で、国も目先のことしか考えないのかなぁ、と最近の「お金がないない」資料を見ていると思ってしまいます。

先が読めないこのごろ

自粛中にトライしたベランダ菜園がなかなかな状態(^o^)になってきました。ミニトマトは収穫中。とはいえ小さい鉢植えやプランターなので、成長したくてもできない窮屈さが気の毒です。実家はまだ周辺に田んぼや畑が多いので、誰もが家庭菜園といっても庭や敷地外の田畑で自家用の野菜づくりをしています。実家の畑を見ていても、もう全然育ち方が違う( ;∀;)。我がベランダのシソは実家から株分けしたのですが、1ヶ月で成長度合いは5倍ぐらい違います。実に大地と異なる物理的・心理的な影響が…と屁理屈してしまいます(;’∀’)。コロナ禍で、「暮らし・住まい」への価値観が変わった方もおられると思います。私も将来の暮らしを再検討するこの頃。最近、新聞を読む時間が昔の2倍位かかっています。ヒマなわけじゃなくて(;’∀’)、将来予測するための世界中の事象の課題が多すぎる。今日と昨日はそう変わらなくても、昔なら数年単位だったものが数ヶ月単位で著しい変化が起きている。シニア世代も、若い世代も常に「先を見通し」ながら生活設計してほしいです。