1月17日

今日で阪神淡路大震災から23年。人の認知機能は「体感」がとても重要なのだなとつくづく感じます。当日私は京都の自宅にいたのですが、京都でも酷い揺れでした。その2,3日後だったと思いますが、確か西宮あたりまで行ったときの景観は一生忘れられないものです。その後も東日本大震災、新潟や熊本、鳥取など大地震が発生し、悲惨な場面をメディアを通してみても、自分の目で見ることのインパクトは本当に違う、まさしく「体感」と感じます。新聞でもこの数日、震災後の人々の生活を追った記事が続いており、23年経っても全く終わっていないことがわかります。まして、東日本大震災もまだまだ。時間の経過とともにどうしても我々の関心は移ろいでいきますが、当事者にとってはいつもそのままです。懸念されるのは、阪神淡路から23年経ち、当時60歳だった人は83歳、40歳の若い人でも63歳です。高齢化に伴いそれまではなかった問題も増えていく。「自助」だけでは無理なことが多くなります。行政としてこそ「忘れずに」土台を支える施策を構築してほしいですね。

勉強はいつまでも続く

昨日「卒業論文」を提出してきました(;’∀’)。来月口頭試問があるので合否はだいぶ先ですが、この2年間で社会福祉学を基礎から学び、本当に良かったと思っています。いや、よくぞ「学ばねば」と自ら思ったもんだと、少し自分をほめています(苦笑)。卒論は「高齢者の居住」をテーマにして、現状・今後の課題、対策などを考察したものですが、まだまだ足りません(;´∀`)。ということで、昨年夏に大学院の試験を受けまして、なんとか合格できましたので4月から大学院研究課程に進学します。が、その前に卒業せねば(;’∀’)。まだまだ油断はできません。このトシで気づくなんてと反省も多いのですが、周りを見ると同年代で大学院で学ぶ友人・知人が多いです。経営経済、社会学、医療福祉経営、さまざまな分野で専門性を磨いています。みんな自分の仕事から「もっと学ばねば」が起点。頼もしいですね(*^^*)。と、今日は私事でしたが、あと2年(?)仕事と学業と両立で励みたいと思っております。<(_ _)>

後見人制度への信頼性が揺らぐ

先週の新聞で「成年後見人の監督を怠ったことで国に賠償命令」と言う記事がありました。成年後見人の財産管理を家裁の家事審判官(裁判官)が確認していなかったということです(京都市)。後見人は被後見人からすると継母とのこと、約20年に渡り払い戻しを繰り返し1900万円の使途不明金があったにもかかわらず、裁判官は「後見事務の遂行状況は良好」としていたそうです。実兄が提訴し「成年後見人の監督目的、範囲を著しく逸脱した」として判決がおりました。ある意味、裁判官が同僚の裁判官に違法を下したというのがすごいと思います。一方で、後見人の行為を確認する立場の信頼を著しく揺るがしたことも事実。これだけ後見人の問題が多発している中で、二重チェックの機能が働いていない。今後後見制度ニーズが爆発的に高まっていく中で、人々の不安を大きくしてしまいます。この件だけではなく、20年近く前の基礎構造改革等で公的機関の削減がされましたが、時代を考えると逆に今後増やしていかねば質の悪い社会になってしまいます。つくづく、無駄遣いを省いて必要なところに財源を投下してほしいと切に願いますね。

居住の問題は待ったなし

神戸市にある阪神大震災の復興住宅で2017年の「孤独死」は64人だったと報道がありました。前年2016年は66人だったそうです。復興住宅だけの問題ではなく、全体でどれくらいの「孤独死」があるのでしょうか。そろそろ国(自治体)はきちんと数字を把握すべきと感じます。そもそも孤独死の定義があいまいで、1週間以上発見されなかった場合とみなす場合もあれば、単に死亡した状態で発見された場合も含まれるようです。まずはここからですが、家族がいても死に際に誰もいないということはよくあることですから(病院ですら)、一定の定量的指標が必要ですね。と、前置きが長くなりましたが、神戸では4カ月以上発見されなかったケースもあったそうです。以前、神戸の復興住宅は20年の契約ルールがあり、「追い出し」が問題化していることも記載しましたが、その後どうなっているのか。今日の朝刊にもその記事がありましたが、このような記事を見るたびに行政に頼れない、これが「自助」ということか。今後の高齢者低所得独居の増加を考えると、自助論だけでは成り立たないことは明確なのですが。

遺言書を簡単に保管化

相続と相続税は別モノと言う話を長らくしておりますが、相続トラブルが非常に多いため、政府は民法を改正し「自筆遺言書」を法務局で保管する制度などを検討しているそうです。「相続するようなものは何もない」「子どもたちが好きにしたらいい」という親御さんは相変わらず多いですが、それが本当に大変なことになってしまう。もう公私にわたってたくさんの事例を見聞きしてきました。「ちゃんとしておかなくちゃねー」と言いながら、まだ先と行動せず予想外の事態に陥る人も。相続人がいるいない、円満な家庭であろうとなかろうと、自分の持ち物はきっちり処分する指示をしておくことが大切です。何度か私ごとも記載していますが、私はもうだいぶ前から自分の誕生日に毎年自筆遺言と付帯事項を書き直しています。前置きが長くなりましたが、現状では遺言は公正証書にしないと、ルールが厳しい(そりゃそうですね)ため自筆遺言では無効になるケースが多いのです。しかし公正証書を作成するとそれなりの費用と手間がかかり、さらに内容変更にはまた費用と手間がかかる。このあたりを改正で対応してくれると、もっと遺言書作成は進むと思います。早く対応してほしいですね。

高齢者福祉の歴史は浅い

年末に読んだエスピン=アンデルセンの福祉国家論にあった「年金」の話です。約200年前の1820年当時は平均寿命が世界的に40歳位。1900年頃でも50歳、20世紀初頭で20歳成人の平均寿命が60歳以上(豪州60歳、フランス61歳、アメリカ62歳、スウェーデン66歳)は一部を除き例外。また、農業人口が50%前後以上の国が多く労働力の商品化(サラリーマン)が少ない社会でした。この二つの事情により皆死ぬまで働くか(笑)家業を子世代に引き継ぎ、自分はその配当で生きていた。従って年金制度の背景は、年金で老後生活を送るためではなく、加齢により生産能力が落ちた部分だけを補填する役目だったのです。なるほど。結果的に、「長生き」が問題だったということで、歴史を冷たく俯瞰すると社会制度としては長寿は寿でなく悪の根源だったということですね(;’∀’)。福祉は、欧米ではチャリティ(教会)比率が高く、1927年には公的福祉支出総額の6倍もの額がチャリティで賄われてたそうです(◎_◎;)!高齢者福祉の歴史は実は浅かったのでした。

高齢者施設での誤嚥・誤飲

先週の読売新聞独自調査情報によると2016年度、全国の有料老人ホームで944人が事故死しているとのこと。「誤飲・誤嚥」183件、「転倒・転落」49件、「溺死」17件、「薬の誤使用」2件、「その他」594件、「未分類・無回答」93件。この数字は管轄の自治体に届けられているもの。個人的感想としては、届けられていない件数はもっと多いと推察します。しかし、圧倒的に「誤飲・誤嚥」とは若干驚きました。一方で、家庭内事故死も「窒息」が最も件数が多いので、状況は合致します。それでも家庭(在宅)に比べ、見守り状況は整っているホームでも誤飲・誤嚥を避けられないのは、老衰死とみていいのではと思ったりもします。家族側からすると「施設の注意不足」とクレームになることもあるかもしれませんが、超高齢老衰期に、体が受け付けないのに無理に飲食させることは自然に反するのでは。だからといって経管栄養ならいいのか、というとこれも老衰の場合は自然に反すると感じます。超高齢期は、本人というより家族や周辺の覚悟と判断がとても重要と思いますね。

勝手に捨てられない不動産

年末に「土地の相続は登記を義務化」という報道がありました。所有者不明の空き家や土地が、周辺の危険や治安だけでなく自治体の税収にも及んでいるからとのこと。遅きに失する気もしますが(;’∀’)、この法整備は大変だと感じます。私事ですが、母方実家の土地はもう何代にも渡り相続登記をしてこなかったので現状無理な状態です。田舎にはこういう家がとても多い。とはいえ、現在の事実上の相続者がわかっているので課税も管理もきちんとされています。しかし将来にわたっては難しい。一定期間相続人不明者は自治体が引き受けるというルールを作るにしても、その費用や万が一その後に相続人が出現した時の対応など複雑そうです。一方で、不動産は一度持ってしまうと誰かが引き受けてくれない限り、自分から離れてくれません。「以前購入した分譲シニアマンションがどうしても売れない」「死ぬまでに処分してくれと子から言われる」と精神的に参ってしまっている高齢者の方々に何度もお会いしました。簡単にはいきませんが、『不要な不動産を捨てる対策』も必要な時代、と感じます。

高齢者のモチベーション

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします(*’▽’)。年末年始は実家や母の実家の叔父叔母宅で過ごしました。実家のある県が高齢者に運動プログラムを推進しているのですが、運動量をカレンダーに書き込みポイントを申告する形、母はこれにすごいモチベーションをもって1日1万歩前後歩いているようで、なかなか効果がある(;’∀’)。一方で「最近お風呂の出入りが怖く感じる」と言い出しました。古いお風呂なので浴槽がちょっと深いのですね。さらに床がタイルで田舎ゆえ浴室自体が広い。一昨年トイレと離れへの廊下などを改修した際にお風呂もと私は提案したのですが、その時は「そんな必要ない」と突っぱねられました。約2年経過し本人は「まさかの加齢」を実感しはじめたようです。介護保険申請までは必要ない状態なので、自費改修を検討せねばとなりました。仕事上、多くの方に早めのリスク対策を語りますが、「そのとき」がくるまで実感できないのは、我が母も同様です(苦笑)。難しいですねぇ(;’∀’)。