強い生命力

調べもので過去の人口統計を見ていたのですが、年齢別死亡率を見てあらためてちょっと驚きました。2012年とデータが少し古いのですが、この表はその年代の人の年間死亡率(その年代の死者数を年代人口で除したもの)。これを見ていると男女とも85歳ぐらいになるまであまり死なない(苦笑)。80代後半から一気に死亡率が高まりますが、100歳越えでも50%に満たないってすごい(◎_◎;)。長生きするというより、死ななくなっている、という感じですね。この2012年時、死亡総数は125万人ちょっとですが、1990年(H2年)は82万人、22年で153%です。2016年の死亡数は129万人ですが、2030年には160万人と推測されています。昔読んだ本で「限界寿命は120歳」と見た記憶があります。誰もが120歳まで生きるとなるとこれはまた大変な世の中に(;’∀’)。病気を治す薬ではなく、ぴんぴんころり薬がほしいもんです。

どこで「死ねる」か?

病院好きな人は結構多いですね(;’∀’)。私の同年代でも何かあればすぐ病院という人が多い。自然死したいと言いながらも病院に駆け込む人も多い(笑)。私自身小学校1年迄は体が極端に弱く入退院を繰り返していたようですが、その後非常に強い生命力(?)のおかげで入院経験はないですし、病院もめったと行きません(花粉症以外)。高齢者が増加していくのに逆に病床は今後さらに減少させます。「病院は死ぬところではない!」と強烈な国のメッセージ(笑)。じゃあどこで死ぬか?もう自宅か行旅人しかないです。一方で介護は「殺しちゃいけない」というピリピリした現場。いっせーの、でみんなが意識を変えていかないと、大変なことになります。人間絶対死ぬのですから、もうあとはいかに死ぬか。それはいかに生きるか、ということです。先般「家族難民」という本を読み、個人的には反論多い内容でしたが、社会保障制度が脆弱化する中、家族支援100%だとすると家族がいない独居者は10%分お互い支援するという話には賛成でした。ほんの少し気にかける(余分なお世話はしない)のある住まい方を探ってみたいです。

昭和40年代の高齢者施設

昨日の続きです。S40年度末の養護老人ホーム(介護ではなく困窮高齢者の収容施設)は、全国で714施設、約5.3万人分が整備されています。S38年に制定された老人福祉法による「特養ホーム(介護施設・医療担当配置)」は、S40年で40数か所、約3千人だそう。白書では「しかし、脳卒中の後遺症のため常時臥床している老人は全国に14万人と推計されており…」とあり、これは今の特養待機と比べものにならない倍率です(◎_◎;)!まだまだ介護は家族内のことだった時代。有吉佐和子の「恍惚の人」出版が1972年、この「痴呆」物語が政策にも大いに影響を与えたと言われています。しかし、高齢者施設がしっかりと計画的につくられていくのは、1980年代後半のゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10ヶ年計画)からなのですね、どうも日本では高齢者住宅(施設)への取組みが、やはり欧米に比べると遅きに失した感がぬぐえません。まあ、今となっては隔世の感です(;’∀’)が、それでも内情は…┐(´д`)┌。と、言いつつ今日も横浜で「高齢者の住まい」についてのセミナーをしています。

昭和40年の社会福祉施策

調べものがあり昭和40年の厚生白書を読みました。興味深い内容です(*’▽’)。経済発展だけでなく社会福祉の充実が重要と説かれており、「社会福祉施設の運営においては、設備の整備も必要だが人的陣容が備わっているのも不可欠の要件、職員の人件費は低い実情があったので、40年度に国家公務員並みの給与が確保」されるに至り「今後は国家公務員の給与改定が行われると同時に施設職員の給与も改定される仕組み」となったと明記されています。これは、おそらく介護保険施行時から変わってしまった。介護保険ができてメリットも確かにありますが、功罪は小さくないと感じます。話は変わり、「高齢者施設(住宅)」の歴史はそれほど長くありません。明治時代の救貧対策の一部として宗教団体による養老院がそのはじめと言えるでしょう。本格的に制度化されたのは第二次大戦後に養老ホームが出来た頃からです。有料老人ホームは1963年に制定された老人福祉法29条で規定されていますが、白書では昭和26年(1951)に東京で有料老人ホーム第1号が創立、1955年時点で有料老人ホーム数は9ヶ所とのこと。特養ホームの出現も1963年を待たねばなりません(続く)。

居住福祉とホームレス

先週、横浜滞在中に日本三大ドヤ街といわれる寿町を歩いてみました。随分昔に行った大阪の西成・大正のイメージを持っていましたが、整然とした街並みと感じました。気になったのは、要介護と思しき高齢男性の多さと周辺のほとんどを占める簡易宿泊所の1階にたくさんのデイサービスがあること。デイサービスの密度はちょっと普通では考えられないぐらい。それだけ需要があるのでしょう。通りすがりにデイの職員と高齢男性の会話が耳に入りました「今日は朝からお酒飲んでないものね」と笑顔の会話。独特の街が形成されているのだと感じました。面白半分というわけでなく、社会福祉学的な関心です。ちょうど高齢シングルの増加による問題がテーマの文献を読んでいた時で、「ホームレス」はこの先「中流」と思っている人にも訪れるかもしれない。何をもって「ホームレス」と定義するかは議論が多いのですが、このように書いている私自身にだって関係ないとは言い切れない(今女性ホームレスの研究書を読んでます)。仕事上と大学での学び上で、誰にとっても「老後のまさか」はありえると考えています。なかなか周辺の人には伝わりませんし(;’∀’)、私の心配のし過ぎなら良いのですが。それでも考えておきたいのです。

高齢化率ピークとハコ

2025年問題がどこでも盛んですが、高齢化率のピークは地域によってかなりずれます。首都圏含む三大都市圏のピークは2030年、地方は2020~25年で逆に25~30年は隙間らしい。いまだに国交省はサ高住を作るよう奨励していますが、地方ではもう一般賃貸もサ高住も空きが目立ち苦労しているとか。大家さん破産も発生。これはいずれ遅れてくる高齢化率ピークエリアにも波及する。新たなハコを作っていいのか?従って既存の空家の活用が叫ばれているわけですが、大きな壁があると思います。一つは建築系の会社がそれでは儲からない(経済対策と結託)。もうひとつはそれと対応するように日本人の「新築好き」。ようやく少し「長期優良住宅」や「中古市場」に目が向くようになりましたがまだまだ。国策としてもっと強力に堅実に住宅政策を進めないといけないし、我々の意識変革も重要です。高齢者住宅業界(事業体)が規模拡大しているのを非常に懸念します。一定の品質を保てない(介護職員)上に、安定的な経営が永続できるのか?高齢者住宅は住宅産業ではないはず。そこに気付き堅実な経営をしている事業者が個人的には信頼できます。話がズレましたが、一般賃貸ももう入居者を選べる時代ではない。だからこそ住宅確保要配慮者への大家さんや不動産屋さんの理解がすごく重要です。

高齢期の住み替え、再考

昨日は高齢者住宅財団の勉強会に行ってきました。テーマは低所得高齢者の居住支援ですが、後半の事例がとても興味深いものがありました(低所得高齢者=普通の高齢者)。地域により違いはありますが、特に「やはりなー」と思ったのは「入居中のサ高住から移り住みたい」という人が意外と多いそう。「劣悪な環境のサ高住」もあったそうで、想像がつきます(;’∀’)。他にも「思ったものと違う」は結構あるのでしょう。奈良エリアの相談分析では、住宅検討者の元世帯は独居と家族同居が多い(夫婦は少ない)。その内容も「家族内のトラブル」が割と多く、独居の場合は「立ち退き」が多い。さらに相談ルートでは、地域包括やケアマネからの紹介と本人からという3ルートが多いものの、住居が決まるのは紹介ルートがほとんど。本人は自ら相談に来るけど意志や主体性が弱くて決心に至らないようです(わかる~・苦笑)。地域包括やケアマネさんだと「待ったなし!」の人が多いのでしょう。でも、気にかけてくれる人がいるのは幸せです。サ高住は本来の理念と異なる実態になっていますが、昔からあるシルバーハウジングの仕組みが最近いいのではないか、と思っています。ホントに安否確認(早期発見)だけでいいですという人は少なくないはず。自省も込めて、方向はひとつじゃないと認識しなくてはいけませんね。

現場力+経営者

先週、有料老人ホームの事例発表会にお伺いしてきました、5つの自立型有老ホームを運営、最長27年の歴史を持っておられ、入居者の中には支援・介護が必要な方も加齢とともに出てきます。重度になれば介護専用室に移動しますが、本人や家族の希望が優先。この自立型ホーム内でのケア事例ですが、正直驚きました。「この状態の人が自立棟で過ごせているのか?!」。一般家庭ではまず不可能であろうし、まして一般的な自立型ホームでも確実に介護室への移動ではないか、と思うのですが、スタッフの対応で改善し住み続けられるというのが、やはり現場の力はすごいなと思いました。他にもいろんな取り組みがあり、あらためて「介護の現場力」を実感した次第。とはいえ、介護施設の事件も後を絶たない昨今、どうしてこういう差が出てくるのか。やはり運営者の方針・考え方は大きいと実感します。積極的に研修の機会を作ったり、現場での取り組みを支えたり、そして勤務体系を整えたり。それにはお金もかかります。ここを誰がどのよう用立てるのか。残念ながら今の国の姿勢は自助努力。我々が選んでいかないといけないとともに、現場の対人間力はAIがどんなに進化しても無理だろうと思いました。

日本の住宅の歴史(4)

横浜官庁街の銀杏(^^)。今週は住宅100年史物語ですが、先進国各国と異なるひとつに日本には「居住の権利」が担保されておらず、そして国民もそれを主張してこなかったという流れがあります。それゆえに、住宅の品質についても「目標水準」を設定はするけど、強制力も罰則も(違法でない限り)ないので、住宅においては民間住宅の質が決して良い状態ではなかった(今も)。むしろ公営住宅のほうが広さや一定基準は保持されてきているのが現実です。私も卒論作成の際に、当初の仮説が覆りました。公営住宅が狭いと思い込んでいたのですが(;’∀’)。以前も記しましたが、最低居住水準は単身で25㎡以上です。しかし、強制力のあるものではないので、これ以下の住環境は多々ありますね。このあたりは日本でもしっかりと「居住の権利」を確保していかねばならないと感じるところです。広ければ良いというものではないですけどね(;’∀’)。ちょっと高齢者住宅から拡大してしまいましたが、人間の生きる土台が「居住」環境だと思いますので、学習を続けたいと思います。(おわり)

日本の住宅の歴史(3)

住宅史の続きです。ずーっと日本は住宅不足が続くわけですが、最も厳しかったのは戦後の1945年。420万戸が早急に必要となるが、むろん対応しきれません。この後も大規模自然災害が続き、踏んだり蹴ったりの日本の状況でした。戦後すぐ越冬もあるので「応急簡易住宅」というものができ、規模は2室で6.25坪。しかも基本は自力建設(◎_◎;)。住宅部品を一戸建単位のキットで供給したとのこと。それでも大不足なので、焼けビルを住宅転用したりと、その規模は近年の大震災以上に厳しかったでしょう。この後に経済復興していくわけですが、それまでの住宅不足や緊急狭小住宅がベースになっているのか、住宅規模は小さいまま続いていきました。資料では3畳・4畳半・6畳の組み合わせがよく出てきます。一方で郊外には富裕層向けの広い宅地分譲も展開されていきました。時を進め20世紀末頃には、先進国と比べても遜色ない広さを誇るようになりますが、日本の特徴として持家は欧米並みだが借家が非常に狭い。これは各国では見られない状況です。さらに、各国の住宅寿命は80年前後(英国は132年!)なのに日本は40年弱。時間を追ってみてみると、日本独特の住宅DNAが我々に刷り込まれているような気も(;’∀’)(続く)。